『ブラックジャックによろしく』によろしく
第69話(がん医療編・28)「答えをください」

2003/10/13

こんにちは、皆さんお元気ですか?えれです(^^)。
連休中はいかがお過ごしでしょうか。

私は、大好きなマンガの『死と彼女とぼく』(川口まどか 講談社・刊)
をずっと読み返していました。
というのは、このマンガにガンを題材にしたエピソードがあるのを思い出した
からなのです。(KCフレンド版第2巻、「死者からの伝言」。ガンとは明確に
特定されていないが副作用などの問題などからそう想像される)

ところが、そのエピソードだけ読むつもりが、うっかりはまってしまって
結局10巻一気読みしてしまいました。

以前は、死んだらこんな振る舞いをしたくないとのみ強く思いながら読んで
いましたが、今再び読み返すと、自分も含めて実は生者というのは、
ここに出てくる死者並にあさましく、訴えることというのはほとんど
「自分を理解してくれ」というその一点にすぎません…

というかこの世界では死者と生者との間に性質上明確な差はつけられて
いないんですね。

と、ここは別の作品の感想になってしまいましたが、なんというか
何かひとつのことを考えるといもづる式にすべてを思い出していくというのは
面白いことですね。
理解も、前より深まっているといいんですけどね(^^;

では、今回もよろしくお願いいたします。

・庄司

結局この人が一番死を恐れ逃げているんだなと、思いました。
死を軽く扱う(扱って見せる)ことで傷つくことから自分を守っている。
(私見ですがこれは全くの逆効果ですね。)

・斎藤

ただ今は、愚痴も反発も非難も受け入れてそばにいるだけ。
そこから始まると思います。

・宇佐美

結局のところ、

「目標は完治(治癒)だけか?」
「ガンに克つとは完治することだけを指すのか?」

ということなのでしょう。

希望が欲しいから辻本さんは宇佐美先生に会ったのには違いないのですが、
「なってしまったものは仕方がない、その中でどうするかだ」
と言ってくれる人が、一体この世に何人いるでしょう。

人はどこで自分の死を見つけるのでしょう。
死に対するわたしの考えは、第60話の感想で書いたことと今も変わりません。
今の状況ではほとんど全員が、この問題には及び腰なのはわかる気はします。
ただ、誰にも、どこまでも、希望を持って生きる権利があります。

その手助けができる人に、今は医者であってほしいし、
「それは自分の領分でない」と言って欲しくないのです。

私は宇佐美先生は「やめ時」を探しているのだと思っていたのですが、
児玉さんの死を乗り越えることで、(形式はどうあれ)それは意味を
変えるのかもしれません。

誰もが、自分や愛する人の肉体は消えても、心が復活する日を、待っている。

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