『ブラックジャックによろしく』によろしく
第70話(がん医療編・29)「死神に生を説く」

2003/10/28

こんにちは〜。

皆さんお元気ですか、えれです(^^)。

さて、余談ですが、私のノートパソコンのキーボードは少し調子がおかしくて、
”E”のキーがかなり強く押さないと出ないんですよね。
(Eがだめってかなり大変なんじゃないかと皆さん思われるかもしれないですけど
本当に大変^_^;)
で、意識しないで打ち続けると、「生」と打ったところがみな「死」になっていたり
する訳で。
まぁこれは本当に余談。

さて、今回本当に遅くなってしまってごめんなさい。
でさらに、上記のようなことを書いていたら、ノートが本当に壊れてしまいました…
うっ。
7年間ありがとう…
と感傷にひたりながら、とりあえず元気出していきますよ。

・未来の死のためか、生のためか

児玉さんの姿が久しぶりに出てきて、また軽いショックを受けてしまった
私でした。

児玉さんが最後に何を考えていたかさえはっきりと分かれば、宇佐美先生も
庄司先生もきっと救われるのにね。
それが聞きたくないことでもね。知らないよりはきっといいのだと思うし、
また、果たしてそのようなことを、児玉さんは思っているだろうか。

「僕は死にたくない」と言い、
「そんなことをできる人が本当に世の中にいるんですか」と言い、
「生と向き合う事は死と向き合う事と同じ事」と言う斎藤くんが、
宇佐美先生に言いたいことはそれなのかもしれない。

前回、私は、「なってしまったものは仕方がない、その中でどうするか」だ
というようなことを書いたのですが、精一杯生きること(=最後まであきらめないこと)
で生を全うしようという斎藤くん側の態度は、十分よく、分かります。
(それでもなお、その時はやってくるんだけれど。)

・パンドラの箱が開くとき

そう、辻本さんの主治医は庄司先生なので、辻本さんが永大にいる限り
辻本さんは庄司先生の担当患者です。

明らかにもう遅い、としか思えないようなことが(それは自分からの固定化した
見方であることが多いのも確かなんだけれど、)人生にはあります。
重大な問題や人間関係からもし逃げ続けたら、それはいつわりの人生でしょう。

いつわりの十年間。
十年は長いです。

私は前回、宇佐美先生が救われるとき…というような事を書いたのですが、
もちろん宇佐美先生の心が蘇るときとは、庄司先生の心が救われるときでも
あるでしょう。

庄司先生が、逃げずに、見つめて、過去のことも今の自分も直視したとき、
死から逃げつづけるのをやめた時、すべては変わると信じています。
医者であることができなくなっても、…
いやそれはあまりに痛ましすぎる、けれど、(確か何かあったときの
責任はすべて庄司先生が取らされる事になっていたと思うので、)
覚悟が、決まったんですよね。

戻る