お正月だよ!〜intermissionスペシャル

2004/01/05

(どうも緊張感のないタイトルで誠に済みません;)

皆さん、お正月はいかがお過ごしでしたか?えれです。
あらためましてあけましておめでとうございます。
今だ松の内ではありますが、お正月はその間より後始末のほうが大変という気分も。(私見)

さて、今回は以前こっそりお約束した「intermission」をお届けしたいと思います。
「一休み(intermission)」なのにスペシャルとはこれいかに、といった感じですが
もしよろしければおつきあいください。

また、今回はわたくしの都合で二部構成となっております。
皆さんは、先日TBS系列で放送された
「『ブラックジャックによろしく』お正月スペシャル〜涙のがん病棟編〜」
はご覧になりましたか?

実はわたくし、この回のエキストラに参加しています。
インターネットの公募で行ったのです。
で、最初の考えではこの時の体験を、
「『ブラックジャックでよろよろ』〜涙のエキストラ編 その1その2」
(エキストラの公募は計3回あったのですが、3度目は男子中学校の入学式の
シーンで(あと二つは初詣のシーンと庄司先生の講演会のシーン)どうしても
妙齢の少年が調達できず断念しました ^^; )
というタイトルでお届けしようと思ったのですが、色々ありまして少し考えが
変わってきたのです。
(あ、私が辻本さんの息子さんの名を「ケンタくん」と知ることになったのは
そこでそう呼ばれていたからですね。)

ドラマの感想を申しますと、なんというか、『風の谷のナウシカ』の劇場版と
原作の関係というか、『地球へ…』の劇場版と原作の関係というか(同じやんか)
ああ、そこに振り替えるか、と脚本がうまく機能しているところもあるんだけれど、
「NICU編」で見たような丁寧さをもういちど見せて欲しかったというのが
正直なところというか、お正月からがんの熾烈な描写はタブーだったのでしょうか。
(第一児玉さんのエピソードがあれだけだなんて不満だ〜それにしてもカオリさん、
あんたなんでそんなに事情通なんですか)

このドラマをのちのちまでつなげてゆきたいというスタッフの皆さんの意志は
痛いほど伝わるのですが、ちょっと駆け足すぎたかなというのが本音です。
でもいい子ちゃんになるようですが二週間であの原作の消化は大変だったと思います。
そしてDr.妻夫木はより斉藤英二郎ぽくなっていたような気がするのですが、どうでしょうか…。

で、画面上にわたしたちが出ているかと申しますと…
はい、映ってます。(どこかは言わないよ)
はっきりくっきり、夫が。


☆スペシャルその2(今回は長いよ〜)「死を語る権利」

「もう会えないあの人も、急いで家に帰っただけですか?」

私には時々、口癖のようにふっと言ってしまう言葉があります。
それは「ああ、家に帰りたいな」というものです。
田舎の実家のことではありません。そこにいる頃から言っていたからです。
今夫と住むこの家でもありません。もちろんここでも言っているからです。
一体私の帰りたい「家」ってどこ? その「家」って何なの?…とずっと
考え続けて、一つたどりついた可能性が、もしかしてもしかすると、
そこって「生まれる前にいたところ」なんじゃないの?…
(あらかじめお話しておきますがこれは宗教の話ではなく、そういう話を
したい訳でもありません、念の為。)

私は今でもある個所で自分の生い立ちの一部や父の死について
触れてしまったことを少し後悔しています。
事実そのことは長く長く私を苦しめ、今も苦しめてはいるのですが、
そのことがなくても、「BJによろしく」の話はできたと思うんです。
だって生と死が身近にない人というのはいないんですから。


一般に、苦悩や苦痛を体験した人間は、自分はこんな目にあったの
だから、あんなやつら(というのは社会のことですが)とは違う、
特別扱いされて当たり前、と思いがちです。

心は恨みごとでいっぱいで、
それは心の近視状態に似ています。
心の筋肉がどんどん動かなくなって、次第に目の前しか見えなくなるのです。

私は親しい人(特に夫)に何度も何度も言いました。
「お前に分かるわけがない」「普通に育って今まで何にもつらい思いを
したことがないお前に、何を話そうと分かるわけがない」。
夫は辛抱強く言い続けました。
「君にとって生い立ちや不幸は、もう、一つの「武器」になってしまっている。
それでは誰も君に何も言えなくなってしまう」。

私には長くこの意味がわかりませんでした。
でも今は、少しは分かるつもりです。

私が尊敬するあるひとも、言葉は違えど同じ事をずっとおっしゃって
くれていたのだと思います。

苦しみを、心の壁を作る「武器」にしてはいけません。

「生死を語る権利」があるかないか、そんなことは誰かが決める
ことではありません。

つらいですよね。苦しいです。
世の中、無責任なこと言います。自分の責任でないことで責められます。
本当に、反吐が出るほど無神経です。
(汚い言葉使ってごめんなさい。)

でも、それでも、自分の苦しみを、人との壁を作る「武器」にしては
いけません。

…こう書く私も、手がふるえます。本当にそんなことやりとげられるのかなって。
今すぐにもやっちゃいそうです。

でも、どうか、勇気を持ちましょう。
どうか。


私は傷ついていない人を探した。けれどそんな人はひとりもいなかった。

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