『ブラックジャックによろしく』によろしく
第85話(精神科編・6)「無駄だよ,耳をふさいでも」

2004/05/10

皆さんお久しぶりです、えれです。
お元気ですか?(^^)。

GW終わりましたね〜
皆さん、おこづかい残ってますか?
私はね、もちろんないですよ(江戸っ子みたい…)。

公園散歩して古本屋冷やかして缶ジュース飲みますよ。(^^;

さて、今回のタイトルは二重の意味を持っていますね。
それでは、今回もよろしくお願いいたします。


・弱者にしないで

そりゃ、一人前扱いしてないんだもんね。

斉藤くん、自分の反発に対する反論にも、反駁できない、
(すいません、面白いんで並べてみました)
向こうのほうが年季が行っているから。

でもここでジャッジが入るのは、読んでるほうとしては「ちっ」と
思いました(^^;


・提案

斉藤くんご同伴(しかもおごりつき!)で外出した小沢さんはすごく
生き生きしてる。
命は本当は、はずむものなんだよ、と言うように。


・ふるえる昆布

突然ですがあなたは昆布がなぜ海の中でダシが出ないか知っていますか?
これは、海水と昆布本体との浸透圧の関係により、昆布の成分が海中に
流れ出す事はないからなんだそうです。

例えればこれが普通の…
心が健康な人の精神状態と言えると思います。

しかし、中身が流れ出てしまう、というか、そういうような気持ちに
なってしまうのが統合失調症の症状ではないかと思うのです。

でも、これは少しぐらいは誰にでも覚えがある事ですよね。
笑われてるんじゃないか? とか、自分の話をしてるんじゃないか? とか。
ただ程度がはなはだしくないというだけの事です。

しかし、患者はこれがしょっちゅうです。
自分の中身も流れ出し、また外からも流れ込んできます。
自分で制御することはできません。
伊勢谷先生は「統合失調症は『自我』が失われる病気」と説明していますが、
まさにそんな「自分の形」を留めていられないような状態はたまったもんじゃないでしょう。


・「かわいそう」ということば

別に精神病者を対象としなくても、
人と人とのかかわりは、相手の今の状態を受け入れて明日の姿を信じるという
ことがなければかなり苦しみをともなったものになると思う。
(特に親子・兄弟など親しい関係においてはさらに。)

これは二つの視点どちらが欠けてもうまくなく、もし両方の内どちらかが欠ければ、
二つともになければ尚に、治る(という言葉を一旦は使いますが)、というのは
非常に困難なことになるだろう。

差別とは何か…
相手の現在を受け入れないこと。
能力や将来性を信じないこと。

すべて大なることは、小なることより始まる…
良いことも、悪いことも。


…さて、私は前々回で皆川ちゃんの「先生、可哀想な人が好きなんでしょ?」
というセリフがぴんとこなかったと書きました。
今ちょっと昔のことを思い返しています。
私が「かわいそう」という言葉を使った多分最後の時のことを。
私はとっさに妥当な言葉がみつからなかったのでこの言葉を使ったのでした。
相手は少し納得できない、という顔をしていました。
でもそれ以上話す時間がありませんでした。
でも本当は私の中にも変な違和感が残っていました。
その言葉だけが落ち着きどころを失って、二人の間で宙ぶらりんに、多分今も
空を漂っているのです。

今でも戻りたいと思っている。
行って取り消してきたい。
そして別の言葉を言うんだ。
「泣いた?」って。
わたしもそうだよって。

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