『ブラックジャックによろしく』によろしく
第87話(精神科編・8)「汚名」

2004/05/26

(うーん、開始以来最大規模の遅れ。ご心配をかけたかた、本当に申し訳ありませんでした!)


・やりすぎました

昔、山口いづみは唄いました。(古い話で悪いが)
 ♪ そよ風のように 生きていきたいの…

心からそよ風のように生きたいと思うのに…
突風です。(なんとなく)

さて、このところそんな私の『暴走管理人』たる家族は仕事に忙殺されています。
いつも最終的な文章チェックはこの人に頼んでいる訳ですが、そんな理由で前回は
チェックなしにそのままアップしてしまったのでした。
その結果、自分でも前回の表現は「ぎりぎり」「すれすれ」というか、
自分で決めたルールにさえ触れてしまうような、
まぁかなりきわどかったと言えるでしょうか。

歯止めがきかない(セルフ・エディター機能が働かない)って、
やっぱり怖いことなんですよ。
面白い時も確かにはあるんですけどね。

このように、一時的にでも自浄能力が下がったことをおわびします。
また、「病気になってよかった」とつい言ってしまう場面もありましたが、
これは本当に本人だから気楽に言えることで、見守り支えてきた周囲にとっては
たまったもんじゃない、ということもあります。
だから、あれは本心には違いないけれども、そんな面でも反省しているのです。

さて、小沢さんの受難が語られる今回ですが、
またおつきあいのほどよろしくお願いいたします。
(それにしてもこの「カップじゃない」というのは印象的だったな。)


・鉢かづく姫、鉢かづく人々。

突然ですが、子供のころ一番好きだった日本の昔話は、
「鉢かづき姫」でした。

何の因果か実の母が亡くなる時に頭をすっぽり覆うほどの大きさの「お椀」
をかぶせられた姫君が、このお椀のせいで行く先々でつらい目にあうが、
最後には彼女の優しさと美しさを理解してくれる男性にめぐりあい、
幸福をつかむという話はとてもロマンチックでした。
特に衣装くらべ、知恵くらべで勝つところ、最後にお椀が取れる(姫の美しさが
明かされる)最大のクライマックスはすごくわくわくしました。

さてこの間、面白い本を読みました。
歴史上の人物や物語の主人公を一種の障害者と(実際の障害者ももちろん
いるのですが)見立てて読み進めていく、という本当に面白い本なのですが、
その中に「鉢かつぎ姫」も取り上げられていました。

一方で私は昔から妙なことばかりが気になっていて、つまり一番の謎は
「お姫さまと王子さまの人口比ってつりあうんだろか」と、
つまり王子さまに見つけてもらえなかったお姫さまはどうなるのか、
その逆は、とか。

もし「生きにくさ」を抱えるすべての人々がそれぞれの「『鉢』かづく人」
と言えるならその人たちの全部に理解者、協力者は現れるのでしょうか?

小沢さんはけして「美しいお姫さま」には設定されておりません。
ここがこのお話が現代の物語たる所以だなぁと感じます。
今回ちょっと長くなってしまいましたのでもしできましたらこのお話は
次回にゆずりたいと思います。


・ライン

人生は、確かに自分で歩むものです。
けれど人は本来立つべきだったスタートラインに誰もが立つべきです。
その為の手助けが受けられるべきなら、「精神科」とはその為にあるものでしょう。

でも「ここではないどこか」へ行けた時、君のそばから先生はいなくなるんだけれど…。


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「鉢かづき姫」(通称・鉢かぶり姫、鉢かつぎ姫)は室町時代の『御伽草紙』に
出てくる物語です。
ふたを開ければ姫が良い出自でお金持ちの美女である(つまり何の問題もない)
という点に、食い足りなさを感じる主旨の発言を作者も当該の本の中でしていますが、
今回は子供の頃すなおに感じていた通り、「隠された美徳と真価が周囲に分かるまでの
ある人間の苦難のものがたり」としてとらえさせて頂きました。

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