『ブラックジャックによろしく』によろしく
第90話(精神科編・11)「商売と理想」

2004/06/16

(初めに、皆さまには大変ご心配をおかけしました。もう大丈夫ですよ。
通常どおり再開したいと思います。どうぞよろよろ ^_^)

♪悲しい時には 散歩に行くの いつもわたしのすきな場所…


「マイ・フェイバリット・シングズ」の曲で歌って下さい(^^;
皆さんお元気ですか? えれです(^_^)。

と、勝手に一人ミュージカルで始まりましたが、私は元気です。(本当に元気です。)
この前はツマブキ君のシャツをちぎりに行ったりしてね…
ウソだけどね…(試写会に行っただけ。安藤くんも来た。楽しかった)。
まぁそんな風に過ごしています。

さて、前回でちょうどコミックス一冊分ですね。
今回もまたどうぞおつきあいください。


・緩和ケア科

まさか人気者二人のツーショットの大ゴマが欲しかった訳じゃないだろうな…
うれしいけど。


・NICU

まずおムツに目はいかないのか…
(突然今気づいたけど「ひっくり返しておつむにおむつ」、かなるほど〜
お、遅い??(^^;)


・心臓外科・第一内科・第一外科

こうなると本当にまるですごろくみたいですね(^^;
時間があったら作ってみるのも面白いかもしれません。
「カオリさんに三千円借りれないと北先生に会えない」、とか。


・「先生も僕のこと好きですよね?」

ヤバイ。

(同性間でもこれはあるのか…)


・ブレイブ リトル ブラザー

「虐げられるものへの共感があったのかもしれませんね」

人々の心に生まれる差別が度外れて大きくなる時、それは病んだり飢えたり貧しかったり、
人の心が落ちつきを失った時。
それは爆発的に現れて、逆に回ろうとしている世界の、そのためのささやかな抵抗を
押しもどす。

門脇氏の上の言葉は、過去皆川ちゃんの言った「先生かわいそうな人が好きなんでしょ…?」
という言葉と呼応するような気がする。

何かへの共感がそれに対する偏愛に堕してしまいやすい事もまた事実だから。
そんなとき誰が正直に「ここで(この人に)なら自分も必要とされる気がしたから」と
言えるだろうか。

共感は同情に。
とても、とても、区別がつけづらい。自分の気持ちさえ分からない。

けれど、少し、迷ったりしてもいいですか?


・月影

さて、私はやはりここであるひとつの小説を思い出します。

「杳子(ようこ)は暗い谷底に一人で座っていた」(古井由吉『杳子』(新潮文庫「杳子・妻隠」)より。)

私がこのお話を初めて読んだのは高校生の時で、その時はなんというか
つかまえようとするとするりと逃げてしまう文章だな…と思っていたのですが、
最近読み返してみて、杳子が失調に陥る場面の描写の静かな壮絶さには
舌を巻くものがありました。(昔はやっぱりよく分かってなかったんですね)

で、これは名作ではありますが初版が1971年とすでに古典にも入りそうな(すみません…)
作品ですので、書かれた社会状況も今とはかなり異なり、また杳子の不調についても
正確な病名が明らかにされていないため単純な比較はできないかもしれません。しかし、
物語冒頭の、
「杳子がそこにいた」(ので逃げられない)
という感覚は今も圧倒的な迫力を持って、なぜ主人公が彼女から離れられないのかを
この一文だけで納得させてしまう力を持っています。

ローレライは誘う、私を好きなら、一緒に行こう、と。

守りたいものができると、人は弱くはいられないのかもしれません…。

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