『ブラックジャックによろしく』によろしく
第91話(精神科編・12)「ネバーランドじゃない」

2004/06/22

皆さん、お元気ですか? えれです(^_^)/。
暑いです…

私にも冷たいジュースを一本いかがですかとごちそうしてくれる人いないかな。
みみがースナック口からぶらさげてるような女にそんな人はいないか…。
(これがまたね、口の中でなかなか無くならなくていいのよね。にっちゃ
にっちゃにっちゃにっちゃ。)

さて、登場したのは典子さんや内海さんとはまた違うタイプの美少女ですね。
それでは、今回もどうぞおつきあいください。


・「ピーターパンを待っているの」

あまりに強い印象を残して少女が去った後、夜の鏡に映った自分を凝視する小沢さん。
治り始めの第一歩というのは、自分の姿を客観的に見られるようになる(見始める)
ことなのでしょうね。

小沢さんの変化に、後ろで何気なく微笑んでいる門脇氏の表情がよい。
驚愕の斉藤くんのカオも捨てがたいが。


・「さてどうしたものですかね 斉藤先生」

院内事情通・キューピー門脇氏本領発揮!

門脇さん…あんた調べずにはいられないんだな。(ブンヤだしな。)

斉藤くんは汗かきっぱなし。

しかしここで一つ気になるのは、前日まで小百合嬢が保護室に入っていた、
(入る必要のある状態だった)ということですかね。


・スマッシュを決めろ!

「すごいですね〜〜〜」

いいとこ見せたい小沢さんは卓球がんばっちゃう。
しかし絵が本当に動いてる。ぶびょいっ!!って感じ。

(それにしても私寡聞にして知らないのですが「うらひげあ」ってなに…?)


・「僕…女の人と付き合った事とかないんです」

患者同士の恋愛を危惧する斉藤くんに、伊勢谷先生は病者が恋をしてはいけないという
考えは間違いだと言う。

なぜ他の人がごく自然に望むことを患者は願ってはいけないのかと。

少し話はずれますが、よく障害をもった方がヘルパーさんの助けなどを借りつつ
親元から自立して一人暮らしをしたりすると、「何故人の手をかけてまでそんな
ことをするのか」「親元にいたほうが安全ではないのか」というような批判を
受けたりします。

健常者が自由に願ってしていることは、誰もが願ってしてよい筈です。
とにかく、わたしは、そう思います。


さて前回、『杳子』という小説を参考に提出させて頂きましたが、
これはお話した通り1971年の作品なんですね。
それはどういうことかと申しますと、誤解を恐れずに書きますが
やはりまだまだ文学の中心的担い手は男性であり、読者もまたそうであったと、
そういう時代。
だから中心的語り手は主人公の男性であり、杳子は見られる側としての存在
= 女性 であると、そういう話だと考えてきました。

で、早川小百合嬢が登場する前は、もしかしたらもう“杳子パターン”の物語は
いらないのかなあ(TVドラマなどではまだ健在のようですが)と思っていた私は
小沢さんのキャラクター設定が大変興味深く、「わたしたちのものがたり」としての
『ブラックジャックによろしく』の今日性を掘り下げて書けたらいいなと思っていました。

でも、なんというかまた面白くなってきたな、という感じです。

人生には練習も実践編もありません。
例えその時は「学び」だ「練習」だと言われていたとしても、後から思えば
「ただその時を生きた」という実感があるだけ。

例えその「想い」が不首尾に終わっても(いや、まだこんな不吉な予言をする必要はないのだが;;;)
これからこの二人がどういう過程を経ていくのか、見つめていきたいと思います。


 (おまけ・さいきんのわたし)

 小百合ベアーただいま制作中!
 近日公開! …できるといいな。

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