「思い出話」

2004/08/05

「思い出話」

えーと引っ込む引っ込むと言いながら、また出てきてしまいました。
えれです。

今回は皆さんに、私の思い出話を聞いて頂きたいと思います。

何度かこのコーナーや別の場所で触れさせて頂いていることでは
ありますが、私は2002年の初夏から一年間、ある病気の治療の為
某病院で徹底的な治療を受けていました。
本当はもうその前年から状態は非常に悪かったのですが、私はどこまでも
病院に行くことを拒んでいました。決定的に自分の状態を知るのが
こわかったのです。

しかし、家族の根気ある説得によってついに病院の門を叩くこととなりました。
その病院にその医師はいました。

一般に医療者には「守秘義務」という決まりがあって、患者のプライベートに
関することは、一切外部に漏らさないこととなっています。
ですから私も、(患者の立場のほうではありますが、)この義務に則り、
病院、治療内容等については、分からないようにぼかして書きますが、
結果的に私は、その先生に体も心も同時に治して頂くこととなりました。
私が、医師への尊敬と医療への信頼を失わないでいられるのは、
すべてここでの出会いと治療がもとになっているからです。

病気なのに幸せな体験というのはおかしいかもしれないけど、
先生はどうだか知りませんが、(^^; 今まで生きてきた中で、二番目くらいに
幸せな経験でしたね。
(一番というのは、まぁ、結婚した時ね^^; と言っておかないと後々問題が^_^;)

先生と話したことや話さなかったこと、それらがいっぱい、今も胸につまっています。


幸福は、苦痛と同じように、ストレスになるそうです。

出会いが大きかったように、治癒の結果として訪れた別れも、大変につらい
ものでした。
最終日の一回まえ、家に帰ってきた時は、もう、人目も年齢もはばからず、
大声で泣きました。泣きわめきました。
今後の心細さと一緒に、感傷への決別をしなければならないこと、
これからは孤独に一人でも耐えられるようにならなければならないことに。
でもその決意を持とうとその時決めたのです。

おかげさまで、最終日は何とか笑顔で迎えることができたと思っています。

今私は、一応は健康で、昔のこともそんなには思い出しません。
その時のことは、(そこでの)「自分の時間は終わった」、と思うだけです。

ただ、少しみどり深い所へ行くと、あの自然に囲まれた場所のことを思い、
何かが少しだけ、胸のうちにこみあげる。


医療者と患者が共に目指すものは、必ず同じな筈です。

私はその場所を見ました。
確かにその場所を見ました。
だからそこは、必ずこの世にあるのです。

いつか、はるかに見はるかす、あの風景、あの場所。

約束の場所。


大変不謹慎ではありますが、もういちど、何もないのが一番いいのだけれど、
もしも何かあった時、誰しにも、自分のブラックジャックに会えるといいと、
心から思わずにはいられません。
いられないのです。

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