『ブラックジャックによろしく』によろしく
第99話(精神科編・20)「差別のうまれるところ」

2004/09/03

なぜあの時「ひとつの見方」だけが席巻して他の意見が多数の目に触れることは
なかったのか。
起きた事件があまりに悲惨だったせいか。
誰もが何かのせいにしたかったのか。
最も国民感情に添いやすく、口当たりのいい意見だけが選ばれてメディアに載ったのか。
そして自分もそれに乗ったひとりであるには違いないこと、
そういうようなことをずっと考えていました。

えーと、今週も、楽しい話がなくてごめんなさい(^^;
えれです。皆さんお元気ですか?(^_^)/
私は元気です。
今日もどうかおつきあい頂きたいと思います。

あと、ここまで描く意味があるのか、というような意見もあるのでしょうが、
私は今のところ必要でない場面はなかった、と思っています。
理性と感情を分けるのがいかに難しいかも、それを分からすためであったと。


・マジョリティー。アンド、マイノリティー。

ここでどこまで話をするべきか分からないのですが、
それは、精神科の医師にも色んなかたがいるのでしょうね。
ただ私は精神科医だけは明確に患者を救いたい、症状を和らげたい、
(または自分自身の心に興味がある)と思って志望する方が多い科だと
何の根拠も無く信じ込んでいたので、
この、体制がはっきりするカンファレンスルームの場面は見ているのが
つらかったです。
(以前も申し上げたことですがけして私は医師に聖人であることを
求めている訳ではありません。ただ自分が診てもらうときにはせめて
その道を選んだ志望動機が明確なかたに診て欲しいだけです。)


・もう一度、今そこにある差別。

再三申し上げたことですが、関連がはっきりしないうちに
「精神病」と「犯罪」を結びつけるのは性急であると思います。
また非常に精神病の症状は判断が紛らわしく、短期間で診断するのは
無理な場合も(というか短い時間では無理なのでは…)あるでしょう。

魔女狩りを幾らしても魔女はいなくならないでしょう。
だってそれは人の心が生み出すのですから。

狂気は誰の心にも潜むもの、しかし万人が犯罪を犯すことがないように、
二つの道を混ぜて考えることは避けるべきです。

そしてもう一つのポイントは、前回も申しましたが、当該の人物に責任能力を
問えるか(裁判で起訴できるか)、ということだと思います。


さて、次号は記念すべき連載100回を迎えます。
(わたくし事ではありますが感想を書くのもちょうど50回目になります。
途中色々とはさまってはいますが)

次は何が待っているのでしょうか。

血を流す覚悟が必要だ、と伊勢谷先生は言う。
翻って、私にもその覚悟があるだろうか。

自身の無力さにうなだれる門脇さん。
小百合ちゃんはまるで罪を犯したのは自分のごとくに自らを責め、
そして斉藤くんは向かう嵐の大きさの予感に震えている。

でも斉藤くん、まだ泣いちゃダメだよ、
まだ泣いちゃダメだ…

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