『ブラックジャックによろしく』によろしく
第101話(精神科編・22)「飲むか飲まざるか」

2004/09/18

皆さん、お元気ですか? えれです。
私は元気です(^^)/
さて先日、大島弓子先生の『グーグーだって猫である』A(角川書店)を
やっと読むことができました。(2巻が出ていることを知らなかった)
このお話は、大島先生と飼いねこたちをめぐるエッセイ漫画ですが、
2巻の前半部は先生のがん闘病の様子というか、治療の日々が細やかに描写
されています。それで実はどんな本より、
「がんになるとどういう生活に入るか」がよく分かったという…。

やっぱり大島先生はすごい人だ、と思いました。
少し読むのがつらい部分もありますが、
どうか、ご興味をもたれたかたはこちらもチェックしてみて下さると嬉しいです。

それでは、また今日もどうぞおつきあい下さい。
今回は現実のほうがあまりに早く動くのでびっくりしました。


・批判はひそやかにはさんで

さて、やはりこの件に触れない訳には行きません。
先日、現実の“その男”、T被告の死刑が執行されました。
(私が頭文字を使っているのは別にその人物に配慮してのことではなくて単に名前を
書きたくないからです。)

判決が下ってから僅か6ヶ月という、他の死刑囚51人を飛び越えてのスピード処理でした。
結局、国はこの男の希望を聞き入れたことになります。

大変異論はあるでしょうが、私にはこの執行は早すぎたような気がしてなりません。
(念のため、私は今のところ死刑廃止論者ではありませんし、被告に一般的な意味での
同情は全く持っていません。速やかな刑の執行についても、それが被告のみならず
遺族の方々の意志でもあったことは十分承知しています。)

しかし、一体動機の解明はなされたのか。
男の成育史を探ると同時に「動機の解明」こそが「再発防止」には必要だったのではないか。
我々は終いにそのチャンスを失ったのではないか、
そう思うと……

それとももうみんな分かりすぎるほど分かりすぎているからなのでしょうか?
それがどこから生まれるのかを…


・私はただの一人だけれど

そうして私は、ああ、まさにこういうものが読みたかったという言葉を、全く別の本の中に
見つけました。

 「つまり、ことはどんな統計も数字も制度もがとどかない、ましてや
 『読者に決断の労をはぶいてやる』ことを使命とする新聞のとどくところにはない、
  一個人が全力をふるって自分で考えぬかねばならぬ問題に属するのである。」

(中野孝次 1977年刊 集英社版世界の文学20「ノサック」ノサックの文学に寄せた解説より
『』内はノサック自身の文章。)

ノサックは主に第二次大戦後から活躍したドイツ人作家です。この本は77年出版なので多分
この文章が書かれたのも同じ頃と思われます。
(私は大学の図書館で『盗まれたメロディー』という作品を読んでからノサックのファンに
なりました。自分の専攻とは全く関係ない本ばかり読んでいました。肝心の本物の専攻では
みんなの足手まといというか完全に落ちこぼれでした… ^^; )

書かれた状況も対象も全く違いますが、
これが、今の私の気持ちにぴたりと合う文章です。


今回伊勢谷せんせいと門脇さんの動きが追えなくてごめんなさい!!
次はもうちょっとうまく書けるように頑張ります。

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