『ブラックジャックによろしく』によろしく
第108話(精神科編・29)「無抵抗という抵抗」

2005/01/20

もしもどこまでもどこまでも見通す目をもらえるというのなら、
私は捨てよう、今大事にしている感傷も想い出も、ひっくり返した玉手箱の中に
ひっかかっているような、どんな子供らしい夢も、愛情も全部捨てよう。
大事だと思うものは全て捧げよう…
そんな風に思っている自分がいます。
しかし、どうしてそんな目が欲しいのかと言えば、実はやはり、より良く愛する
為なのです。
もっと愛するために愛(感情)を捨てる、私の中にこんな逆説的な思いがあります。

皆さんお元気ですか? えれです。
今回は最速で更新ができる…できそう…かも?

さて、最近TVアニメにはまってしまったため、ぜひ通してよみたいなぁと思い、
本家『ブラック・ジャック』の全巻セットを購入しました。
(ベッドサイドに並べてあるの。毎晩読む。)
そこで通読して改めて感じるのは、ブラック・ジャック自体がその壮絶な人生とともに、
彼自身が「苦悩する男」であるということです。
私は昔、斉藤くんを、スーパーマンになれない男、ブラック・ジャックになれない男…
とどこかで書いたような気がするのですが、ブラック・ジャック自身の苦悩を思うとき、
本作のタイトルがまた違った意味で胸に迫ってくるような気がします。
それでは、また今回もよろしくお願いいたします。


・ほんのきのうのこと

伊勢谷先生は斉藤のことをもう40年も入院し続けている患者の元へと導きます。
伊勢谷にとってこれらの患者は日本というシステム(そう呼んでいいのではないか)
自体の犠牲者です。

一口に40年というと遠い過去のように感じますが、逆算すれば1964年、
むしろ最近のことと言っていい範疇のことです。
すべては「昔々」でなく今起こっているのでした。


・やさしい悪魔

さて、先ほどお話しました『ブラック・ジャック』にはなかなか含蓄に富んだセリフ*1が
随所に見られるのですが、その中でわたしの好きな言葉に、
「医者は患者のためなら悪魔にだってなる」というものがあります。

悪魔… 禍々しさ、災い、一切の凶事の請負人。
医者は患者にいつも感謝されるとは限らない。

「私はただ淡々と患者を治療し 退院させます」
伊勢谷先生の言葉を読んだ時、なぜかこの「悪魔」という言葉が思い出されてなりませんでした。

(05・1/20 精神障害者手帳を持っていることが分かったらその人に子供は近づけないという
母親の意見を読んだ翌日記す。)

* * *

*1) やはり白眉は「ボンカレーはどう作ってもうまいのだ」だろうか。

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