『ブラックジャックによろしく』によろしく
第112話(精神科編・33「退院の日」)

2005/04/02

(本当はラーメンの話とか小沢さんの就職がやっぱりだめになっちゃった話とか
色々したかったんだけど下記のようになってしまいました…陳謝!)

皆さんお元気ですか、
えれです。
今日は、皆さんに、私の話、というか告白を聞いていただきたいと思います。
というのは今この作品で私は、自分にとって何か重要なことを学んでいる気が
するからです。

親と子、恋愛……。

私は、長いこと死を自分から遠ざけてきました。
もっともらしく「がん編」の感想を書いていた私がこのようなことを言うのは
本当になんなのですが、16年前父を失ってから、私は
親しい人の死や苦しみを、決して自分に近づけまいとそればかり考えてきました。
出生の問題のため、(そんな大それたことではないのですが、(別に書いてもいいんだ
けれども気にする人がいると悪いので)このため父の死後、回忌などの催しには一度も
出席したことがありません。)
親戚内で私を可愛がってくれる人はごく少数だったにも関わらず、
大好きだった叔母の死も無視し、お葬式にも行きませんでした。
心から気持ちを開けるような親しい友人もけして自分からは作りませんでした。

ファザコン娘の述懐…ではあるのですが、父を失うということは私にとって
世界を失うことに匹敵しました。
父を亡くしたが最後、私は「変な生まれの変な人間」でしかなく、
もう私を世の中から守ってくれるものはありませんでした。少なくともそのときは
そう信じていました。(こんな風に考えて母には本当にすまなく思っています、)
その瞬間私はこの世に放り出されました。

二度と親しい人の苦しむ姿は見まい、そう思った私は人間的には恐ろしい不感症な
存在となりました。
余計なことですが職場では「燃え尽き」と言われました。

結婚は、全く予定外のことでした。
夫の家族は、夫同様とても陽気で善良なひとたちでした。
私はここでも恐るべき冷血さをもって振舞いました。
彼らが戸惑っているのを知りながら決して態度を変えませんでした。

その時の私には自分がいなくなったら悲しむ人もいるのだなどという考えはひとつも
思い浮かばなかったのです。

今私はこの作品を読んで復讐されています。
誰が孤独に耐えうるでしょうか。
誰が自分や別の存在を愛さずに生きられるでしょうか。
(またそれは逆の意味も持ちます。)
誰が苦しみから免除され得るでしょうか。

愛する人のいる場所は、いつもぽかぽかと日が射して温かい。
けれどそれは幸運ではなく、その人が作り出してくれているもの。
生きることは喜びだけでなく苦しみも受け止めるもの。
生きている限り動物一匹さえ愛してしまうではないか。

早川さんが一瞬正気を取り戻すその瞬間が痛ましくて仕方ない。
でも小沢さんは目をそむけていないではないか?
「見ないで」というのが早川さんのその時の願いでも、この時目をそむけられたら
私だったら生きていけない。


今のままでもいいかもしれない、
でも人間として何かを取り戻さなくっちゃあならない。


あなたに二度と会いたくないと思う、もう一度会いたいのと願う同じ情熱で。

小さな生き物に触れたのと同じ手で地球の死に手を貸す。

終末を予感する心で、未来を夢見る。


* * *次回からは普通に戻ります。

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