『ブラックジャックによろしく』によろしく
第123話(精神科編・44「受容の時」)

2005/09/28

多分、ラクだったんだと思う。そう思うのが。
何が精神病患者への差別を助長してきたかと言えば、現状の法の施行そのものの他に、
まず、ひとのこころが、
「あんなことは精神的におかしい奴がやるんだ」と思い込んで決めつけていればラクに、
自分の心は安全に守って過ごせたから、そうなんだと思う。

皆さん、お元気ですか? えれです。
私は元気です(^^)。

さて、私は以前、どうしてこんなにこの世界や人をバカみたいに信じてこれたのだろう、
というような自分に対する疑問のことをお話したと思うのですが、それはやっぱり親の
態度のおかげなんだろうな、と今回の123話を読んで思いました。

全部がそうだったというのではありません。
私の母は非常な心配性でした。
それはもうある時には「やりすぎ」というレベルにまで達することはしばしばでした。
彼女はただただ私がこの世の中に傷つけられることを恐れていました。
遠くへ行ってはだめ、(それは心の中の世界も含まれる)世の中にはこわいことが
いっぱいあるんだから、安全な場所にいればいいの、そうしてれば間違いはない、
興味を持ってはだめ、何がお前を苦しめるかわからない、私たちのそばにいればいいの、
何があっても守ってあげられるのはお父さんとお母さんだけなんだから…。

私があんまり、母を満足させるようなタイプにならなかったことは、皆さん大体ご想像の
通りです。

ここまで心配するというのは、彼女自身がこの世の中に深く傷つけられた経験を持つ
ということです。
彼女は私に傷ついて欲しくなかったんでしょう、かつて自分が傷ついたようには。

その事を思うとき、どうして当時それがわかってあげられなかったのかとても悔しいです。
でも私は自分のやることなすこと反対する母に反発を覚えるばかりでした。
時にはものすごい母娘ゲンカもしました。
そして母の束縛を嫌い19歳にならんとするかという時に家を出て今に至ります。
親不孝なことですが、自分はこうする以外仕方なかったのだと思います。

で、父は一風変わった態度で私に接しました。
いや、別に変わっている…という程のことでもないのですが、結果的にこれが私を救いました。
つまり、よっぽどのことがない限り自分は出てこないんですな。
父に信用されているという気持ちは結果的に自分自身に対する自信を生み出しました。
だから、自分のスペックの限りはありましたが、色んなことをやってみようという気持ちが
できました。


「私達 親にできる事は… 何も与えず 何も負わせず 
ただ… 社会に立たせてやることじゃないでしょうか…?」


斉藤君の言葉は、ちゃんと小沢さんのお母さんの胸に届いていたんだね。

今を受け入れつつ、未来を信じるのは、本当に難しい。
それは全ての親御さんたちにとって本当に至難の試みであることでしょう。

でも、私はそうあって欲しいし自分も将来そうなりたい。

そして最終的には、人は誰でも身を守るために身に付けていくものがあるけど、
私はいつかこれらのものをすべてどこかへ捨てに行きたいと思います。


母さん母さん、私の目がくもる。
父さん父さん、私の目が見えない。

苦しいときにいつも思い出す、あなたがたの言葉。

お母さんは言ったよ、この世は闇。
損をしてはいけない、うまく立ち回らなければ傷ついてお前が苦しむ。

お父さんは言った、この世は海。
それぐらい深くて広い。どんなことでも起こり得る。
迷ったら最後には思い出しなさい、損か得かなんてことはね、考えなくていいんだと。

考えなくていいんだと。

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