遺伝子がさせるのか

1999/12/26

たまには女らしい事を、というのでもないのですが今年もまたセーターを
編みはじめました。
良い奥さんとかそういう話じゃないのです。
普段あまりにも何もしてあげないことの免罪符というか、何となく
毎年一枚ずつセーターを編んであげるということになっているのです。
と言ってもまだ二年目、何とかこの慣例を続けていけるといいのですが・・・。

去年は初めてでしたゆえ、本当に極限まで工程を省いたむちゃくちゃ簡単な
編み方でできるデザインを選びました。
それゆえ、糸だけは凝ったものを使いましたが、これは後で綴じる時扱いにくく、
大変苦労しました。

今年は少しステップアップして去年よりは難しい(それでもごくシンプルな
デザインだけど)のものを編んでいます。
皆さん、「一目ゴム編みの作り目」がどんなに難しいかご存知ですか?(爆)
#世の中にこんな技法があったとは・・・。
糸も細いのでなかなかたまらなくて大変です。
こうして一年ごとにレベルアップしていけばゆくゆくは名人になれるのでは
と思うのですが遠大すぎるでしょうか(笑)。

私の編み物歴は、小学校の頃課外授業で小物入れやマフラーを作った程度です。
機会があればやりたいと思っていましたが、社会人のうちはすっぱりあきらめていました。
それと、私はもともと女の子の手編みのセーターというのが苦手でした。
手作りの物はどうしても多少の野暮ったさがつきまとうのでは?と思っていた
せいもありますが、冬になると彼氏へのプレゼント用にたくさんの手編み本が
出ますよね、ああいうのはどうかなといつも思っていたせいもあります。
というのも、手編みのセーターというのは一から始めようと思えばかなりお金が
かかるものなのですね。

まず糸。
大抵の本が自社ブランドかタイアップメーカーの毛糸を作り方の中で
指定しています。これがかなりの確率で少女たちの心に
「この糸を使わなければだめなんだわ」との錯覚を引き起こします。
どこにでもユザワヤが建っていると言うのでない限りブランド糸というのは
とても高価なのです。それに乙女たちは私みたいに最初からバーゲンの糸なん
かに突進しません。
これでまず1万円は飛ぶ。

そして道具。
確かに昔はどこのお母さんも手編みをして不思議でありませんでしたから
お母さんから借りれる女の子はラッキーです。でももし使いたい太さの編み針
がおうちに無かったら?やはり道具も揃えなくてはなりません。
これもなかなかばかにできないお値段です。私はまず100円ショップで揃えましたが、
すべての女の子が真っ先にそこを目指すとは思えないし、やはり品揃えにも
限界があって、手に入らないものは私も正規の値段で手芸屋さんで買いました。
そんなこんなでさぁ始まるとなって、TVもお風呂も中間テストもあきらめて
もしかしてこれ数学より難しいんではというような本と首っ引きで仕上げる
のですから、(仕上がるならばまだいい)一着のセーターに掛けられた怨念、
いや想いというのはかくやと思われます。
贈る方も受け取る方も大変だぁ。

そしてもしそれで男の子が「ううむ」というような顔でもすれば。
もしうまくいかなかったりしたら(爆)。

金銭と労力を費やせば費やすほど恨みというものは何十倍にもなりかねない
と思うのですね(^^;
私は実は男性にしてみても手編みのセーターというのは嬉しいというより
受け取るにはかなり荷が重い代物ではないかと思うのですがどうでしょうか。
セーターを編んであげる相手には注意が必要かな?なんて偉そうに思う
ゆえんです。
なんか計算高い人みたいだけどそれぐらいのもんなんだよ、ってことね(^_^)

しかし誰のためとかそんなことを抜きにして、毛糸を見るとふらふらと
吸い寄せられるような気がする事も確かなんですね(^^;
彼にプレゼントする女の子たちも実はそれは名目で、本当の所は本能の
おもむくままに編んでいるだけなのかもしれません。
これはもう遺伝子がそうさせるのか何なのか全く分りません。(^^;
ただこの気持ちが消えないうちは、己の欲求に従うのみだと思っています。

それと、前回やってみて初めて分ったんですが、物がどうして出来上がるのかを
知るということは素朴な自信につながるのですね。何でもそうかも知れませんが、
物の成り立ちを知っているということは何となく人に勇気と安心を与えるんです。
次回に応用がきく訳ですから。
なんか長くなりましたが私はまた今年も遺伝子に操られてセーターを編むと
いうことで(^^; 

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