ドジの血潮

2000/12/07

岸本葉子さんの本を読んでいて、葉子さんが小学生の頃
ランドセルを学校に忘れて家に帰ってきてしまった
(それも複数の級友たちと連れ立っていながら)
という所で、ああ、やっぱりな、と思った。

というのは私が常日頃から岸本さんに親近感を抱いている
からで、やっぱりと言うのは私も忘れて帰ったことがある
からである。
校舎に駆け戻って、自分の机の上にだけぽんと赤いランドセル
が置いてあるのを見た時はほっとしたけど悲しかった。

しかしドジ話と言って真っ先に思い浮かぶのはやはり
(あまり大っぴらに言うことでもないんだけど)入学した
ばかりの中学で、校門前の側溝に落ちたことである。
あと数歩で校門をくぐろうという所だった。

この話は実は他でもさんざんしたのであれなのであるが、
一緒にいたクラスメートは私がいきなりいなくなったので
(文字どおり視界から消えた)目をしばたかせたと言う。
その時私は彼女の足許よりさらに下にいた。
深さ150cm位の堀のこと、中学生の女の子なんかは
すっぽり入ってしまう。
肝心のその瞬間については覚えていないのだが、多分その時
制服のひだスカートは「おちょこ」になった傘の如く頭の先まで
めくれあがり、スカートの中もまる見えだったことだろう。
左足はくるぶしから太ももにかけて全面擦りむいていた。

幸いお堀に水は無かったのであるが、もし水がはってあったら
怪我は軽くて済んだような気もする。
結局私はその日全部の授業と課外活動までをもオロナインだけで
耐え抜いた。課外長には何で黙ってたんだと言われた。
真面目だった訳ではない。
どちらかというとマラソン大会など来れば「先生お腹が」「熱が」
とか言って何とか走らずに済む手はないかと考えるようなタイプだ
った。(成功した試しはないが。)
今にして思えば痛いのより恥ずかしいのが先に立って、そんなこと
思いつく余裕もなかったんだろう。
実はこの時の傷がまだ微かに残っていて、本人にしか分からぬ程度で
あるが、見るとよくよく「注意一秒怪我一生」だなぁと思う。

私は決して自分から外をかけ回って遊ぶとか、そういう方では
なかったはずなのにこの調子で色々と細かい傷がいっぱいある。
一番最近でも皆さんにお話した事では深夜電話台に頭をぶつけたことと
開けたままの食器棚の扉に立ち上がりざまにこめかみをぶつけたこと。
この時の傷もまだ残っているので、この家は小さい子には危険すぎる、
気をつけねば(そしてできるだけ観音開きの家具はやめようー_ー;)と
思いましたがよく考えれば小さいお子さんの背の届く高さではありま
せんでした。

よくドジ話を披露してくれる方がいますが
皆体を張ってる面が絶対にあると私は思っているので
(ひとつのドジの陰には十の(しかもあるものは痛い)ドジが〜)
決してそれを売りにしてるとかはないと思うんですよ…(^_^;)

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