村の女は眠れない(と他に)

2001/06/20

(最初に。「村の女は眠れない」は高度経済成長期、農村から
季節労働者(出稼ぎ)として夫を送り出した妻の嘆きを描いた
草野比佐男氏の詩集。氏は自らも農業を営む福島の詩人で、
セクシーでユーモラスな記述の中には多様な問題が提起されて
います。『』内は同題の詩から引用させていただきました。)

私はこの詩集が特集されたドキュメンタリーをこれまで数えて都合
3回見てしまいました。
一度目は「あとがき」によると70年代当時、二度目は80年代
(90年?)「新日本紀行・傑作選」(確かこの番組だと思います)
の再放送として、そして最後はいつかははっきりしないのですが、
数年前、経る年を経て現代の視点からこの詩集の風景を振り返ると
いうものでした。(この時作者の草野比佐男さんがすっかりはげて
(ごめんなさい…)しまっていたのにはびっくりしましたがこれは
余談です、^^;)
今この本を手にして感じるのは、やあ、やっと帰ってきたね、という
ような気持ちです。

私は東北の出身で、子供の頃にはまだクラスメートの何人かのお父さんは
出稼ぎに行っている、というようなことは少しも珍しくなかったのです。
よくそういう級友に先生は寂しくないかと聞いていました。
しかし、家族が(例え何ヶ月間かでも)別れて暮らすことを不憫だとは
思っても、つがいの男女が離れて暮らすことの不自然さについてを真っ向
から唱えた人はいなかったのでしょう。

ドキュメンタリーに出てきた中年の出稼ぎ労働者は、インタビューに
答えて
「結婚をしたんだもの!…ずっとくっつきあって寝たいべさ」
と言った。

しかし、男たちが帰ってこないのは都市部も同じだったのではないで
しょうか。家庭は女と子供がいるだけの場所になり、「家族のため、
会社のため、より豊かになるため」という錦の御旗の元、男たちは
帰ってこない。どこも同じという言葉に説き伏せられてすべては曖昧で、
それを誰も変に思わなくなったらおしまいだと思うのですが…
(『許せない時代を許す心情の退廃はいっそう許せない』。)

と言いつつ、私はあとがきにある、「専門に詩を書くうるさい詩人たちの
監視から首尾よくのがれて、村や街の一隅にくらすわたしに似た依怙地な
精神のもとへとたどりつき、ひそかに愛されるという僥倖に恵まれれば
ありがたい」という作者の言葉にひとりほくそ笑んだりもしているのです。


早く帰ってね、という。
帰っておいで、という。
約束の場所とはより良い生活のことではなく、帰ってきた男と落ち合う、
その場所のこと。その時こそ本当に幸せ。

    『女の夫たちよ帰ってこい 一人残らず帰ってこい
      税金の督促状や農機具の領収書で目貼りした納戸で
      腹をすかしながら眠るために』


* * *

さて現代にはリストラということがありまして皮肉にもそのせいで
それが解消されたという場合もあるかも知れませんが、人員削減に
よって残った方は仕事が倍になるのですからこちらは同じですネ(^^; 
(それにその理由はあまりにも…)

* * *

また、残念ながら未見なのですが「コンチネンタル・ディバイド
(大陸分水嶺)」という映画に描かれるような例もあります。
これは男の方が生き馬の目を抜くような都会で飛び回るブンヤで、
女の方はロッキー山中で鳥類の研究をしている学者なんですね。
こういう二人が恋に落ちてどうするか?
二人は結婚します……別れて暮らす為に。
                    ^^^^^^^^^^^^
こういうのもまた立派な一つのかたち、今ならではなんだなぁと
思います。

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